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リクルートCM考
http://youtu.be/HMvNFqBOsdQ

こういうCMがウケるのだとしたら、それは弱さの裏付けでしかないような。

逆説的に、これは話題の小保方博士が世紀の大発見をした際に、その研究内容よりもプライベートな側面、いわゆる「等身大の小保方さん」ばかりが報道され、孤高の科学者ではなく、身近な女子力とやらが高くてかわいい女性として感じられるところまでわざわざ引き下げて無理やり「共感」を得ようとする行為につながっているのではないか。

「人の違いを認め合おう」

と言いながら、結局は

「みんないっしょでしょ」

というおかしな平等意識に陥っているわけだ。

もちろん人生に決まった道があるわけがない。そんなことはあたり前の話だ。それをわざわざ強調する必要性がわからない。

しかも、このCMではマラソンコースを離れてそれぞれの人生を歩む例として「結婚」やら「出産」みたいなことが出てくる。

マラソンを人生に例えるとして、そのコースを外れて自由を得た先にあるのが「結婚」?「出産」?

映像の作り込みに騙されそうになるが、実は矛盾している。

「人生はマラソンだ」とあえて仮定するならば、それらは「給水所」「補給ポイント」みたいなものではないのか。

結婚も出産も人生に必要不可欠な栄養やエネルギーかといえばそうではないだろう。むしろ、走っている状況によってはエネルギーとして過剰だったり、タイミングが悪かったりしてあえて補給しないこともあるだろう。
また、手を伸ばしたはいいがうまく取れなかったことだってあるだろう。

そういう人の生き方にとって極めてセンシティブな部分を、これが人間の当たり前の幸せなんだ、と押し付けるようなやり方は、「人生はマラソンじゃない、道を外れてもいいじゃないか」と言いながら、逆に「幸せな生き方」を押し付けられているようで違和感が拭いきれない。

もちろん、リクルートからすれば、今の人生=仕事に疑問を持つ人が多ければ多いほど商売になるわけだから、人を迷わせてなんぼのCMを作ることには合理性はあるわけだが。

ちなみに、このCMでは真剣なマラソンがモチーフになっているが、本来は「人生は市民マラソンである」のほうがまだしっくり来るね。

時に歩いても構わない、でも制限時間はちゃんとあるからあんまりのんびりしていては間に合わない。

が、ひとつだけ言えること。

それは、オリンピックのフルマラソンで優勝することは、本当に素晴らしいということだ。
| 2014.02.09 Sunday | 音羽屋的言葉 | comments(0) |
おひさしぶりの音羽屋的。

「 おひさしぶり」なんて言葉で軽く流すにはあまりにあまりなほどに久しぶりの投稿。というわけで、今年の年賀状を皮切りに、「音羽屋的。」再始動したいと思います。

家族・友達・いろいろな場面で出会う仲間たち。

そんな人たちとの関わりを深めれば深めるほど、いつか確定的にやってくる別れを強烈に意識して、すなわち結局人は独りであることに思いを致さずにはいられません。

しかし、だからといって関わりを断つのかといえばそうではない。孤独を意識してもなお人と関わらずにいられない人間の強さと弱さを考えていきたいと思います。

今年も音羽屋的に感じることを、1枚の写真を通して書き連ねます。Facebookは公共の電波みたいなもんなのでちょっと遠慮しますが、こっちは我が家なので好きにやれます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
| 2012.01.18 Wednesday | 音羽屋的言葉 | comments(0) |
Twitterについて考えてミルフィーユ仕立て〜夏の思い出を添えて
瀬戸内海に面したプールにて

1ヶ月以上更新を怠ってしまった。なんだかTwitterだけで満足してしまって・・・

でもやってみて思ったが、Twitterはまさに「つぶやき」であって、「表現」ではないね。もう少し言えば、あれを「表現」と言う人もいるだろうが、自分はあれを「表現」とは言いたくない、みたいな。

でもね、それはTwitterをバカにして言うのではなく、むしろその特性に見事感じ入ってしまったからこその思いなワケです。

「表現」には、自らをよく見せよう、とか、こう受け止めてほしい、とか、なにかしらの意図が入る。それはイケナイことではなく、だからこその「表現」であって作者の意図に騙されたり気持ち良くなったり逆らったりするのが「表現」の楽しみ方でもあるだろう。

しかし、Twitterってマジで、、、なんつーお気軽なの。なんも考えてないときでもそのなにも考えてなさをつぶやけば成立するわけで、いままでそんなテキトーなメディアあったかな??と思わず考え込んでしまう。

そして!

Twitterの最大の面白みは、気軽さによってその人の素が出るということ。たいがいのブログはかっこつけるから作者の実際まではよくわかんないけど、Twitterはお気軽過ぎてみんなついついそのまんま書いてしまうからおもしろい。

意外にこの人グチとか文句多いなぁ〜とか、やっぱいつも通りクールだなぁ〜とか、ほんとなんも考えてないんだなぁ〜とか、その人の内実にちょっとだけ迫れる気がするんだよね。

Twitterが流行ったことで、意外とみんなカッコ悪いことがわかってホッとしたなんて人も多いんじゃないだろうか。カッコ悪いというのはそんなうまくいっている人ばかりじゃなくて、みんなそれぞれ苦労してんだなぁという感じでね。

そんなわけで、ようやく「音羽屋的。」復活です。Twitterも相変わらずで。今年の夏はほんと熱かったですね〜。

twitter
| 2010.10.04 Monday | 音羽屋的言葉 | comments(4) |
くるりライブ地獄の団体戦報告(愛知芸術劇場・2010.5.31)
はと

愛知芸術劇場であったくるりのライブ「地獄の団体戦」。

けっこう長々とファンをやっていた割には初めてのライブ参戦だったのだが、いきなり濃いやつにあたってしまった気がする。

なんといってもシングルB面と新曲のオンパレード。
くるりのライブというとなんとなくみんな立て乗りでダイブやっちゃうくらいのイメージ(のはず)なんだけど、お客さんも騒ぐというよりはじっくりと聞く感じで、見事岸田ワールドに当たっちゃってたね。

オープニングは「東京レレレのレ」。桜吹雪の舞う中の軽快なノリで始まった今回のライブ、「麦茶」「目玉のおやじ」「温泉」「魔法のじゅうたん」と本邦初公開の新曲が続き、ファンとしてはいけないのかもしれないけれど新曲はCD出てからじっくり聞くからそれそろそろ知ったやつを聞かせてくれと思ってたころに岸田が一言「今日は東京もばらの花もやりません」。

覚悟決まりました。

その後は怒涛のB面特集。アルバム曲ならまだしもそこにほとんど入っていないシングルB面はさすがにようわからん。イントロでぱっとわかったのは「すけべな女の子」くらい。いや、聞いたことあるのはあったけどタイトルまで出てこなかった。

しかしなんでこんなハードロックだったりおかしな曲を作る人が「春風」とか「男の子と女の子」とかの美しすぎるバラードまで作っちゃえるんだろうとしみじみ感じてしまった。すげぇなぁ。

とにかくこれから今回のツアーに行く人は、「僕の住んでいた街」は絶対買って聞いておかないとダメ。聞いときゃよかった。まさかシングルゼロとは思わんし。聞いときゃもっと楽しめたよなぁと少しばかり心を残してしまったね。でもそれが次もまた行こうというモチベーションになったのは間違いない。

アンコールは「かごの中のジョニー」ともう1個B面。なんやったかな?演奏前に佐藤からのツアーグッズ紹介もあったりで、まったりとしたくるりワールドを最後まで貫き通してくれたライブでありました。いまから思えばシングルはやらなくて正解だったやろうなぁ。あそこで客の秋波に負けてやっちゃったらきっと少し世界は崩れてたかも。

なんにしても楽しかった。いっしょにいった5歳のナルタは「春風」がなくて不満をこぼしていたがまあええやろう。

ちなみに写真はくるりゆかりの京都で撮影したハト。意外とくるりに合っているかも・・・。

twitter
| 2010.06.01 Tuesday | 音羽屋的言葉 | comments(0) |
それはちょっと
 一銭洋食が冷めてもうまいという話をしたが、先日テレビで福井の焼きサバについて「冷めたほうがうまい」と言っていた。

いくらなんでもそれはちょっと・・・


さすがに魚は焼きたてがうまいだろ。

バナー←言い過ぎはよくない。クリッククリック。
| 2010.01.29 Friday | 音羽屋的言葉 | comments(3) |
音羽屋の好きなブログ

新しい年は除夜の鐘をつきながら迎えた。雪が吹きすさぶ中、ひたすら鐘を鳴らす。真っ白になった町並みに、すーっと音が吸い込まれていく。始まる時間を読み間違えたのか、大幅に午前0時をオーバーした百八つの鐘。百八つは煩悩の数とか言うが、そんなもんで済むなら宗教なんていらない、とも思う。

というわけで、遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。

年の始めということで、またもテキスト更新。そして、新年なのでカドが立たない内容で攻めたいと思う。

「私の好きなブログ」

ブログを始めてはや3年以上が経つ。その間、自分以外のさまざまなブログにお邪魔させていただいた。その中でも、特にお気に入りのものをご紹介したい。すべての共通するのは、あくまで個人的な世界に徹していらっしゃるところ。ブログという誰でも情報発信をできるメディアだからこそ、これまでは世に出なかった、けれどキラリと個性が光り、読み応え見応えガッツリのブログが好きだ。中庸を行く当たり障りのないブログには辟易である。

以下、五十音順です。


『おお"空"見よ』

たまに音羽屋的にも訪問いただいていて、数少ないコメントを残していただける方のひとり。2009年度音羽屋的最優秀コメント大賞にもノミネートされた端的でシンプルなコメントは、読んでいて気持ちがいい。

と、コメントの話は置いておいて、やはり特筆すべきは「写真」というものに対する経験や感性に裏打ちされた深い造詣だ。

音羽屋は実は写真が好きなだけであまり細かいことはよくわからないし、機種なんかもせいぜいGRとかライカの最近のタイプを遊びで使っているだけなので、そっち系の話題は知らないことを教えてもらえるという感じで単純におもしろい。写真とは文化なのだということを再確認させていただいたといっても過言ではない。

そして、さらに好きなのがご自身の家族についての話題である。これなんかはまさにブログの醍醐味とも思うのだが、家族という誰にもある社会単位の一例を、おおっぴらに見せていただける。お父様が亡くなられたときの記事などはほんとにいろいろと考えさせられた。ブログで家族といえばたいがい赤ちゃんだのこどもだの「かわいい」「たのしい」ものがほとんど(音羽屋も例にもれず)だが、「死」、それも大切な家族の死を通して、人生を生き抜くということの一端を知らしめていただけたような気がする。

いいところばかり見せるのは簡単である。でも、そこに「ほんとうのこと」はない。個人の日常なんてくだらない、ありきたりだと思うかもしれない。でも、日常にこそ「ほんとうのこと」が潜んでいるのである。世の中でなにが一番よくわからないかってそれは自分自身。他人を介して見えてくることもある。だから、他人の日常に共感したり興味を持ったりするのは大切なことだと思うのだ。

今後も大いに楽しみに訪問させていただきたいと思います。


『デレク・ハートフィールドの日記』

リアルな世界でもお付き合いのある「京のコヨーテ」さんのブログである。

こちらはなんといってもその小気味いいテキストが秀逸だ。読んでて滞ることがなく、長文でもさらりと読める。しこたま飲んだあと、寝酒のつもりで頼んだカティンカをその口当たりの良さとクラッシュアイスの心地よさから一気飲みしてしまい、翌日撃沈するときのことを思い出す(←これは褒めている)。その文章の妙は、正直音羽屋も参考にさせていただいている部分が多い。

そしてこれは『おお”空”見よ』にも共通することであるが、極めて個人的な世界を雄弁に語られている。なにげない日常。今日なにを喰った、なにを見た、なにをしゃべった。本来そんなことは他人の関することではないのだが、なぜかおもしろい。そうか、こんな見方をするとまったく違った側面もあるんだ、と気づかされる。素晴らしい。自分のことではない話、時には自分とは関係がない(と思っている)世界の話もある。けれど、楽しいのである。

表面的なことでは人は引き付けられない。アーティストは、それが音楽であれ絵画であれ写真であれ映像であれ、なにかしら内面にあるゴヨゴヨしたものを具現化することで多くの支持を得るのだと思う。その人の「ほんとうのこと」をいかに見せるのか、それ1点だと思う。すなわち、人間は中身が違うんじゃなくて、それを表現する手段が違うと思うのだ。

京のコヨーテさんはプロの物書きではない。でも、正直チンケなコラムニストは相手にならんだろうと確信している。それをタダで読める。これぞブログの醍醐味だろう。

読み応えガッツリ、でもついつい読みこんでしまうテキストたち。飲みすぎ喰いすぎ注意である。


『土曜日、公園にて』

これまたテキストが秀逸なブログである。hirobotさんの場合、個人的な部分に加えて政治経済社会の時事ネタ等、世間一般の諸問題や事象を取り上げてコメントをされているのも特徴的だ。

「マジメな話」って普段意外とできないんだよね。それはなぜかといえば、やりだすとたいがいみんな熱くなってしまうから。和をもって尊しとする日本人が軋轢をさけるために生み出した知恵なのかもしれないが、どこか物足りないのは否めない。

そんなとき、hirobotさんの鋭いというかなんというか、極私的な意見は見るたびスカッとする。テレビとか新聞とかはなんやかんやとしがらみがあってなかなか言いたい放題とはいかないが、個人メディアであるブログとなれば話は別。そこで議論どうこうではなく、一意見として読んで、うなずき、楽しむのだ。

また、音楽、カーレース、ファッション、小説などへのこだわりも見事。対象のあれこれはとにかく、こだわりがない人というのはどうにもおもしろくない。それってつまり「なんでもいい」わけで、例えばうまいものを喰いに行ってあれこれ選ぼうというときにすべて「同じやつで」と注文するやつがおもしろくないことを考えればよくおわかりいただけるだろう。何かを好きになれる、夢中になれるというのは本当にすばらしいことだ。翻って自分はどうなんだ?いつも読むたびに思ってしまう。広く浅く、じゃダメ、なんじゃなくて、おもしろくないんだよね。そんなことを気づかせてくれるブログなのだ。

今年もキレのあるテキストを期待してます。


というわけで、とりあえず3つご紹介しました。
他にもよく見るブログはありますが、とりあえず、ということで。
ていうか、勝手に紹介してすみません→sa55zさん、京のコヨーテさん、hirobotさん

というわけで、唐突ですが、今年もどうぞよろしくお願いします。

バナー←当ブログのアクセス数的にこうして紹介してもたいした影響はなさそうなのが寂しいところ。クリッククリック。

| 2010.01.03 Sunday | 音羽屋的言葉 | comments(8) |
写真+ポエム(?)は10年早い。
 年末というわけでテキストシリーズ(ちょっと攻撃的)で更新中。

今回は、写真にくっつける言葉について。

音羽屋的の場合、長短はあるけれど、必ず写真にテキストをつけている。写真だけでなにか伝えられると思うほどに自信過剰ではないし、写真のいい加減さをテキストでごまかすという意味合いもたまにある。

が、ポエムみたいな、なんだかふわふわした言葉をくっつけることだけはしていない。ああいうのはたいがい当人の思い込みとか陶酔の一種であって、そもそもガンガン言葉を絞り出す作業をせずに出てきた言葉なんてたかが知れていると思うのだ。

音羽屋的の場合、時に冗長なくらいダラダラと長いテキストを書き連ねることもある。しかし、言いたいことは実は単純なことで、でもそれを表現まで単純にして伝えられるほどには文章が上手じゃないから長くなってしまうのである。

前、雨上がり決死隊の宮迫とその他お笑い芸人の会話で、宮迫が酔っぱらうといつも同じネタをいうのを黙って聞いている、その時間はつらい、でも、そのおかげで宮迫のネタが研ぎ澄まされて、余計なぜい肉が落ちていく、その結果ネタはシャープで切れ味鋭いものになる、みたいなのを聞いた。

まさにこれかな、と思う。

写真と言葉というありふれた表現手法。ブログも一般化して、音羽屋含め、それに手を出す人は多い。でも、いきなり言葉を最小限に、というのは無理があると思うのだ。そんなのはたいがい「なに言葉に酔っちゃってるの?」的恥ずかしさをそこかしこに感じる。言いたいことをそのまとまりを意識することなく書き連ねることを繰り返すうちに、シンプルに伝えるという技の極意を体得できるんじゃないだろうか。

話は飛ぶが、例えば酔拳は本当に酔っているんじゃなくて、酔っているような動きで相手の間隙を突く技だ。同様に、写真も言葉も本当にそれに酔っぱらってしまってはいけない。酔っぱらってしまったら、その間隙を逆に突かれる。

そういう意味でいくと、素人というのは時に飲みすぎて二日酔いになって後で後悔する人、プロというのは酔ったフリをしながらそれが客観的にどう映るか冷静に見極めてそれが的外れじゃない人、天才というのは本当に酔っぱらってるんだけどその世界から覚めることがなくて周りまで巻き込んじゃう人、というムリヤリな区分ができないだろうか。

と、つらつらと書いてみたが、結局「写真+ポエム」は、10年早いどころかたぶんずっとやんないという宣言をしたかった、ということである。

バナー←こういうのがあまり考えずに書けてラクだな。クリッククリック。
| 2009.12.28 Monday | 音羽屋的言葉 | comments(4) |
萎える瞬間〜音羽屋的偏見
 小さなことなんだけど、それがそれであるばかりに萎える、がっかりする、幻滅する・・・・

音羽屋の思うそういう瞬間をふたつ挙げたい。

まず、日本語等々のアルファベット表記で、「し」を「SHI」ではなく「SI」と書いたり、「しゅ」を「SHU」ではなく「SYU」と書いたりするのを見ると、たとえばそれがどれだけかっこいいブログだったり小説だったりテレビだったり写真だったり、まあなんでもいいんだけど、それだけで「ああこの人は根本的な部分でセンスが欠けているんだな」と思ってしまう。

同じく、全角英数字もやばい。特に数字が全角はほんとかっこわるい。数字が全角なだけで、ドキュメントの印象を格段に下げる。その時点で、お里が知れる、みたいな?とにかくあまりのかっこわるさに閉口してしまう。


ほんと細かいところだけど、それだけに全体の印象を変に損ねるんだよね。


アルファベット表記は正確に、数字は面倒でも半角に変える、それだけで明日の空の色が違って見えるはずだ。


ついでに言うと、携帯電話のメールアドレスが数字とアルファベットの混合となっているケースも音羽屋的にはどうもいただけない。入力するときに手間が増えるのもあるが、統一感がなくて美しくない。
同様の理由で、ほんとはハイフンとかもできるだけ少ないほうがいいと思う。アンダーバーなんてもってのほか。アンダーバーはかなりかっこわるい。入力しにくい(探しにくい)し、ハイフンではなくアンダーバーである積極的な理由が見いだせない。ハイフンとアンダーバーがいっしょになってるなんてもう最悪。「なにがしたいわけ?」とつっかかりたくもなる。


・・・勝手なことばかり言ってごめんなさい。

バナー←ケータイアドレスはけっこう恥ずかしいの多いよね。クリッククリック。
| 2009.12.26 Saturday | 音羽屋的言葉 | comments(5) |
「夜中に自販機=退廃的」理論の詳しい説明
想像してみてほしい。

夜中。
ひとり。
暗い中で煌煌と輝く自販機。
ポケットから小銭を取り出して、好みのドリンクのボタンを押す。
ガチャンという音が響き渡る。
おもむろに缶を取り出す。
自販機の灯りに照らされながらプルトップを開ける。
グイッと一口。
ふう〜と一息。

・・・・・・


なんだか退廃的、というか、なんとなく、なにか内面的な世界を物語るような光景に思えない??

つまりですね、コンビニじゃないんですよ。
コンビニでは人を介して買わなきゃダメでしょ。
でも、自販機はすべて機械やモノだけ。

なんとなく人に会いたくない。
ひとりになりたい。
だから、自販機で買う。

たとえばなにかしら人生に悩んでいる若者のワンシーンを撮影するとして、
「コンビニで買い物をして、ビニール袋を提げて出てきて、歩きながら缶コーヒーをあける」
より
「路上をブラブラしてて、自販機を見つけて立ち止まって、黙って缶コーヒーを買ってその場で飲む」
ほうが画になるような気がしない??

ここらへんの微妙なニュアンスなんだけどね。
まあとにかく音羽屋的には「夜中に自販機」は「夜中にバーでパスタ(特にナポリタン)」にひけを取らないくらいに退廃的なわけですよ。

ちなみに、この写真は暗いけど午後7時半ぐらい。
ナルタを夜中に連れ出したら条例違反ですからね。
そこはご承知置きください。

バナー←いったい誰に向かってしゃべっているんだろう。それはブログの永遠のテーマか。クリッククリック。
| 2009.12.11 Friday | 音羽屋的言葉 | comments(2) |
「音羽屋的。」には真心が足りませんでした。
JUGEMテーマ:写真
真心宣言

音羽屋的。は、写真とそこに添えられる言葉で成り立っています。

しかし、時にその言葉が意味不明なことも多く、見る人を混乱させたり、時に怒り狂うまでに追い込むこともしばしばでした。それはすべて、言葉の足らなさ、配慮のなさが原因。すなわち、真心が足らなかったのです。

そんなわけで、これからは「続きを読む」において、言葉の真意や写真の背景を解説することにします。「ああここって××なのね」「ああそういう意味なのね」という基本的な部分も大切に。

真心宣言、音羽屋的。

バナー←ごめんなさい「怒り狂う」ってのはちょっとおおげさ。またこの記事の表現は「真心ブラザーズ」へのオマージュです。クリッククリック。
| 2009.07.01 Wednesday | 音羽屋的言葉 | comments(4) |
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